広島高等裁判所 昭和51年(う)112号 判決 1976年11月15日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人坂本清、同古田道夫共同作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、広島高等検察庁検察官事務取扱検事佐藤博敏作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
弁護人の論旨は要するに、原判決は被告人を有罪と認定するに当り、原審鑑定人渡辺富雄作成の鑑定書を最も重視していることは原判文上明白であるところ、右鑑定書は証拠能力を欠くものであり、仮にそうでないとしても、証明力の極めて乏しいものであって証拠とすることはできないのに、原判決はこれを証拠として採用しているから、この点で原判決には訴訟手続の法令違反があり、ひいては事実を誤認している、というのであって右鑑定書を種々論難する。
しかしながら、記録を精査しても原審の訴訟手続に所論のような違法は認められず、従って事実の誤認も存しないことは明らかであるが、以下主な論点について判断する。
所論はまず、原審鑑定人渡辺富雄が鑑定に当り用いた資料は、司法警察員作成の昭和四六年五月二三日付実況見分調書(二通のうち本件事故現場の状況を見分したもの)の現場見取図及び現場写真並びに右鑑定人が自ら実地調査をして得た計測値であるが、右実況見分調書ないし現場見取図を検討すると、本件事故車が衝突後停止するまでのスリップ痕の有無、状態、電柱のきずの有無、部位、状況、事故車の破損状態についての記載がなく、また事故車が残した三本のスリップ痕の長さも一部しか記入されておらず、それが事故車のいずれのタイヤによって生じたかも判然としない点があり、三本のスリップ痕の間隔に至ってはなんらの記載もないのであって、右実況見分調書中の現場写真によっても各スリップ痕の間隔を計算することは不可能というべきところ、右鑑定人作成の鑑定書をみると勝手に四本のスリップ痕が記入され、さらに歩道上のスリップ痕まで付加されているのであり、また前記のとおりスリップ痕の間隔は不明であるのに、右鑑定書には事故車の衝突前後の進行状況が解析図示されているのであって、このような不明確な実況見分調書を資料として行われた鑑定は不当であると主張する。確かに右実況見分調書(現場見取図、現場写真を含む)には電柱のきずの有無、事故車の破損状態、各スリップ痕の長さ、その間隔等についての記載がないことは所論指摘のとおりであるが、右実況見分調書は現場見取図及び現場写真と一体をなしているものであることは明白であり、なるほど前記のとおり文章体での記載はないけれども、添付されている現場写真によって右欠点は概ね補うことができ、かつ右実況見分調書は原審で適法に取調べられていること記録上明白であって、これを鑑定の資料に供したことに違法はない。また所論は、前記鑑定書には勝手に四本のスリップ痕が記入され、歩道上のスリップ痕までが付加されていると非難しているところ、右実況見分調書中の現場見取図には所論のとおり三本のスリップ痕しか記載されていないし、勿論歩道上にスリップ痕があったとの記載もないが、実況見分調書中の現場写真によると、スリップ痕は四本で歩道上にもその付着していることを明らかに認めることができるから、結局右現場見取図の記載が不備というにとどまるものである。さらに所論は、一部スリップ痕の長さ、各スリップ痕の間隔は不明であるというが、右現場見取図の記載、その縮尺、車道幅員及び右現場写真を基礎とすれば、概略の数値を算出することは可能と考えられ、所論のいうように不可能とは認めがたい。またどのスリップ痕が事故車のいずれの車輪によって生じたかの点についても、右現場写真を含む前記実況見分調書によってその推定は可能と思料されるから、所論は採用しがたい。
次に所論は、原審鑑定人は鑑定書の作成に当り、実地調査をしてその際得たところの計測値を用いているのであるが、右実地調査はその名称は何であれ、実質は実況見分ないし検証というべきであり、かつ実地調査の経過や結果及び計測値が鑑定書に示されていないから、これによって得た資料を用いてした鑑定は違法であり、結局本件鑑定書には証拠能力がないと主張する。この点は原審鑑定人作成の鑑定書自体により明白であって、それによると、右鑑定人は昭和四九年一二月二〇日午前一〇時五〇分から同一一時二〇分まで実地調査をして、記録のみでは不明確な個所を実測し、これによって得た計測値をも加えて本件鑑定書を作成したというのである(なお右実地調査の意味については後述する)。ところで、右主張のうち実地調査の経過、結果、計測値が鑑定書に示されていないとの所論はそのまま採用することはできない。即ち右鑑定書によると、実地調査の日時・場所、立会人の氏名が記載されており、また事故現場附近の電柱の位置、電柱間の距離、歩道と車道との境界にある縁石一個の長さ、高さ等も記載されているのであって、これらが右実地調査の際計測されたものであることは右鑑定書自体から優に推知できるからである。もとより実地調査の際、どの程度の実測がなされたかは記録上必ずしも明らかでなく、従って右鑑定書にすべての計測値が記載されているかどうかは判定しがたいが、右鑑定書の内容並びに渡辺富雄に対する原裁判所の証人尋問調書を総合すると、概ね実測したのは前記程度のものと推認することができる。而して所論は、右実地調査により得られた資料を用いた鑑定は違法であり、従って本件鑑定書には証拠能力がないという。しかしながら、鑑定人は鑑定命令において資料につき特に制限された場合を除き、その命令に指示された資料以外の必要かつ相当な資料を用いることが許されるのであり(最判・昭和三五、六、九、集一四―七―九五七参照)、記録を精査しても、原審が前記渡辺富雄に鑑定を命ずるに当りその資料について特に制限した形跡は発見できないのである。そうすると、問題は右鑑定人がいわゆる実地調査をして得た資料が右の「必要かつ相当な資料」といえるかどうかにかかるところ、右鑑定人がどのような経緯で実地調査をするに至ったかは記録上明らかでないが、この調査に裁判所書記官が立会っているところをみると、それは原裁判所の許可のもとになされたものと推認して差支えないのであり、しかも本件事故当時に比して著しい変化もない道路状況を主として調査し、記録のみでは不明確な個所を実測したにとどまる以上、それによって得られた結果は前記の「必要かつ相当な資料」に当るものと解するのが相当である。
さらに所論は、前記実地調査に際し検察官及び裁判所書記官のみが立会し、被告人、弁護人には立会の機会さえ与えられていないのは不当であると主張する。確かに本件鑑定書によると、検察官及び裁判所書記官は右実地調査に立会っているが被告人、弁護人はいずれも立会っていないことが認められる。ところで右実地調査は、狭義の鑑定の準備としての鑑定人の事実的措置ないし活動(即ち刑事訴訟法一七〇条にいう鑑定)に当るものと解されるから、同条により検察官及び弁護人はこれに立会うことができるのであり(但し被告人に立会権はない)、同法一五七条二項により、裁判所はこれらの者があらかじめ立会わない意思を明示したときを除き、その日時・場所を通知しなければならないのである。しかし記録を精査しても、弁護人から立会わない旨の意思表示のあったこと並びに弁護人に対し右実地調査の日時・場所を通知したことを認めるに足る資料はないのであるから、原審の訴訟手続は右の点で一応違法であるということになるが、右刑事訴訟法一七〇条、一五七条二項は訓示規定であってこれに違背しても鑑定は有効と解されるので(大審院大正一五年一二月二四日判決、大審院刑事判例集五巻五九三頁参照)、結局所論は採用できない。
また所論は、本件鑑定書に仮に証拠能力があるとしてもその証明力は極めて乏しいと主張し、種々論述している。しかしながら、右鑑定書の証明力については原審裁判官の自由な判断に委ねられているのであり、その判断が恣意的で不合理と認められる場合はともかく、そうでない以上それが不当とはいいがたいところ、右鑑定書の内容に徴しても、さらに原判決挙示のその余の証拠との対比からしても、原審のこの点に関する判断に恣意的かつ不合理とみるべきところはなく、右鑑定書の証明力が所論のように極めて乏しいとは考えがたい。
以上説示したとおり、原審の訴訟手続に所論のような違法はなく、ひいて事実を誤認しているものでもないことは明白である。論旨は理由がない。
よって、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとして主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋文恵 裁判官 渡辺伸平 横山武男)